KEK訪問 −世界の奥底にある真理をあらわにする仕事−


 2022年8月1日。私(坂本那香子)は真夏の照りつける日差しの中、つくばのKEK(高エネルギー加速器研究機構)にいました。そして、ただひたすら、その凄さに圧倒されていました。

 まずは、学生時代の得意科目は国語と英語で、苦手なのは数学と理科という、いわゆる完全に文系人間の私が、なぜその日、KEKにいたのかをご説明します。

 そこには2つの理由があります。

 1つめの理由は、至極単純です。親に似ないで何故か理系の科目ばかりが好きな中学2年生の息子の引率です。息子の通う学校の保護者のお1人に物理学の教授がいて、その先生の元で物理学の薫陶を受けた息子が、夏休みにKEKの見学に行きたいと言い出したのです。

 2つめの理由はもう少し複雑です。私の携わっている組織開発の1手法であるシステムコーチング®の世界では、物理学の用語が時々出てきます。

 例えば、システムコーチング®では「3つの現実レベル」を自在に行き来することが重要だと言われますが、その1番下にある「センシェント・エッセンス・レベル」は、言葉にならない「何か」であり、別の言い方をするなら「量子波動関数」の世界であると説明されます。


<3つの現実レベルの図>


 量子波動関数の世界。

 その言葉を聞いて、すぐに「なるほど!」と思う人は、どれぐらいいらっしゃるのでしょうか? 

 私は全く分かりませんでした。

 でも、気になりました。

 そこで、私の常として、何冊かの関連する本を読みました。

 一番面白かったのは、マーガレット・ウィートリーの『リーダーシップとニューサイエンス』です。題名はなんだか怪しげですが、ハーバード大学で組織行動学と組織変革の分野で博士号を取得した経営学の教授である著者によって書かれた、物理学と経営学をつなぐ、非常に誠実な本です。

 この本では、現在主流の組織論は、アイザック・ニュートンやルネ・デカルトなどの偉大な天才達が17世紀に説いた機械論的世界観に基づいて組み立てられている、と言います。感情という不確かなものを廃した絶対的客観性を希求する中で、細部を分解し検証する方法論が、私たちの思考の大部分を形作っている、と。

 一方で、アインシュタインやホーキンズなどが登場し大きく更新された最新の物理学では既に、ニュートン物理学では宇宙の真理を総体として捕まえることはできないことが立証されています。

 人と人との「関係性」に主眼を置いた組織開発手法であるシステムコーチングに携わる私としては、特に「量子の世界では、関係が全ての決定権を握っている」(ウィートリー, p25)のような言葉に、強く惹かれました。

 例えば、以下のような文章です。

 「量子の世界では、関係は興味深い対象にとどまらない。多くの物理学者にとって、関係が現実のすべてなのだ」(ウィートリー, p58)


 そこで私は、息子とともに物理学の旅に出発したのです。

 実は8月のKEK訪問に先立って、全13回の物理学の講義にも出席しました。その講義で学んだことも是非文章にまとめたいのですが、それは別稿に譲ることにして、今回はKEKへの訪問についてです。

 つくばのKEKは広大な敷地を持っています。敷地面積は約1.5平方キロ、東京ドーム約33個分だそうです。そこは、「宇宙・物質・生命の謎を解き明かす日本最大級の加速器科学の研究機関」です。

 お約束の時間よりも少し早めに到着した私たち一行(小中学生5名、保護者7名)は、駐車場への入構時の誓約書の提出など、ものものしい雰囲気に圧倒されながら敷地内に入りました。KEK広報室の方が玄関でお出迎えをしてくださり、ショールームで全体像の説明を受けた後に、暑さを気にして先方がご準備してくださったバスに揺られて2つの施設を訪問しました。光の工場と呼ばれるフォトンファクトリーと、宇宙誕生の謎を解き明かそうとしているSuper KEK B(スーパーケックビー)のBelle II測定器です。

 どうか謎の単語に首をかしげないでください。私も、パンフレットに書かれている言葉を丸写ししただけです。

 まず、フォトンファクトリーで私が見た光景は、大きな建物の中に所狭しと置かれた四角い機械と莫大な量の配線でした。その大きさと量に圧倒されました。私は会社員時代に様々な工場を訪れる機会があったのですが、工場とKEKのような巨大研究所では、その複雑さが全く違うと感じました。こんなにも何をしているのかが掴めない施設を見たのは、私は初めてでした。


<フォトンファクトリー内部の様子>

注)許可をいただいて撮影しています。


 フォトンファクトリーは、加速器で放射光を作り、それを加工した上で、様々な種類の放射光の性質を調べる場所だそうです。性質が理解できて初めて、その利用方法を探ることができます。例えば画像診断のような医療領域、あるいは土壌改良や植物の成長促進のような農業領域など、その応用範囲はとても広そうでした。

 次に訪問したBelle II測定器では、再びその大きさに度肝を抜かれました。電子と陽電子を衝突させその様子を観測するための測定器だけで、幅、奥行き、高さがそれぞれ8mもあるのです。しかもその測定器は、周長約 3 km の加速器を円状につないだ交差点にあります。バスでたどり着いたBelle II測定器の周りの敷地は、地表から見る限り、ススキのしげる広大な空き地でした。その下に新しい物理法則を探るための施設が埋め込まれているなんて、全く想像すらできないような、いつ狐の親子がひょっこり登場してもおかしくないような、そんな場所でした。

 電子や素粒子のような小さなものを研究するために、こんなにも広大な敷地と巨大な施設がいるということに驚嘆しました。


<Belle II測定器>


 そうした物質的な側面を超えて、私がKEKで最も驚いたことを言いあらわすならばそれは、真理へのあくなき探究に寄せる人間の情熱の深さだったような気がします。

 私たちは、何のために役に立つのかを問うよりもずっと手前で、まずは真理を知りたいのです。宇宙はどうやって誕生したのか。まだ説明し切れない現象が起こるのは何故なのか。この光が持つ性質は何なのか。

 そしてそのために、私たちは莫大な予算と人員を投下しているのです。それを情熱と呼ばずに、何と呼べば良いのでしょう。

 KEKでの研究成果は、2008年の小林益川理論の実証のように、いくつものノーベル賞受賞を生み出しています。でも、その成果は全て後からついてくるものです。最初の段階では、全くなんのためか分からない研究のために、私たちは何かとても大切なものを捧げているのです。

 あるいはノーベル賞という制度ですら、人類が知らないことを知るためのその情熱を継続させるための仕組みだと言えそうです。私たちはこの先へ行くことを、人類の発展を、こんなにも望んでいるのです。

 その様子は、何故か私に、祈りの気持ちを思い起こさせました。まだなんの形にもなっていないものを形にしようとするその試みにはどこか、人類の真摯さや、ひたむきさを感じさせます。そう、そして、あの巨大施設はどこか、神殿に似ていました。

 まだ何ものなのかも分からない、でも自分よりもずっと射程範囲の大きなもののために捧げられた情熱、努力、英知。

 宗教学者の中沢新一は、その著作『悪党的思考』の中で、「技術者」あるいは「職人」の本質について、以下のように書いています。

 「彼ら(技術者、職人)の技芸は、自然の自然的なプロセスがけっしてあらわにしないような、その本質をあらわなものとして引き出」すことにある、と( p64)。

 「自然に素手で取り組みながら、けっして自然的とはいえないやりかたで、かくれた本質を顕在化させる」ことが彼らの役割であると説く中沢は、続けて、その意味において、職人は宗教者とごく近い場所に位置付けられていると言います。

 「宗教者は程度の違いこそあれ、ほうっておいたらいつまでもあらわれてこない世界の奥底にかくれている真理を、あらわなものにもたらす仕事に関わっている人々」(p68)であり、技術者も宗教者もある意味で等しく、「自然のプロセスやそこに秘められた力に、積極的にかかわろうとする人々」なのです。

 このことを、私の関心ごとであるシステムコーチングの言葉に引き戻して語りなおすならば、物理学者を含む技術者もあるいは宗教者も、3つの現実レベルの最も下にある、まだ言葉にならない「何か」、世界の奥底にかくれている真理を、言葉や理論といった形あるものにとらえ直す仕事をしていると言えそうです。

 それは、私のシステムコーチとしての仕事にも相通じる部分があります。

 組織や関係性が本来持っている力、普段は奥底にかくれていて顕在化していないその「何か」に積極的にかかわり、あらわなものにもたらす仕事を、私もしています。

 そんなふうにして、例えばSuper KEK BのビームパイプやBelle II測定器と、システムコーチとしての私はつながっています。

 もし、ウィートリーが言うように「量子の世界では、関係が全ての決定権を握っている」のだとしたら、ニュートン的世界観を含めつつ超えているこの世界は、私たちが想像することもできないぐらい大きな可能性に満ちていて、しかも、お互いの祈りの振動が伝わるにつれて更にその可能性がどんどん広がっていく、そんな温かさに満ちた場所なんだと思えてきました。

六月の村ソーシャルワーカーズ株式会社

六月の村ソーシャルワーカーズ株式会社は、だれ一人として不幸な人のいない社会を実現するために、様々な研修及びチームコーチングの提供を行っています。