萩尾望都先生へ −システムコーチング®へのお誘い
はじめに:
私(坂本那香子)は、『ポーの一族』『11人いる!』『トーマの心臓』『スター・レッド』『銀の三角』『半神』『残酷な神が支配する』などなど、萩尾望都先生の作品はかなり読んでいます。どの作品も大好きで、繰り返し繰り返し何度も手に取りました。
そんな私が、2021年4月に河出書房新社から出版された萩尾望都先生の70年代回想録『一度きりの大泉の話』を読んで、いてもたってもいられなくなったことから、この文章は書かれました。
この文章が萩尾望都先生の目に触れる可能性は限りなくゼロに近いけれど、それでも少なくともゼロではないという前提に基づいて書いた文章です。
ここで書かれた内容の詳細が気になる方はぜひ、実際に『一度きりの大泉の話』という本を手に取って読んでみてください。読んでいて辛いけど、萩尾先生のお気持ちが伝わる良い本です。少女漫画、特に、竹宮惠子先生や大島弓子先生など「花の24年組」と呼ばれた世代による漫画がお好きな方なら、読んで損はないと思います。
この文章の構成は、以下のようになっています。
①事実関係の整理
②私の解釈
③エリクソンの発達理論
④インビテーションレターにかえて
⑤人間関係に悩める皆さまへ
ここで一言、お断りしておきたいのですが、④までは、本気で全力の私から萩尾望都先生へのお手紙です。でもきっと、萩尾望都先生以外の方にお読みいただいても、人間関係に悩んでいる方であれば、なにか得るところがあるのではないかと思っています。
それでは実際に、「萩尾望都先生へ」という言葉から始めたいと思います。
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萩尾望都先生へ、
はじめまして。坂本那香子です。先生はもちろん私のことをご存知ないですが、私はなんだか先生のことをとっても良く知っている気がします。なので、こうしてお手紙を書いているのがとても不思議です。
私は、システムコーチという、人事や組織開発に関わる人以外にとってはまだまだ耳慣れない職業に従事しています。でも、一方で私は、その仕事に関わるずっと前から、萩尾先生の大ファンでした。
このお手紙は、先生が最近出された『一度きりの大泉の話』を読んで、長年のファンとして先生にどうしてもお伝えしたいことがあって、書き始めました。
まずは、私が理解した事実関係を整理します。
①事実関係の整理
『一度きりの大泉の話』からは、萩尾先生が当時実際にあった出来事に可能な限り誠実であろうとしている様子が、伝わってきました。それは読んでいるこちらが息苦しくなるような必死さでした。先生にとって、とても大切なことを語ってくださって、本当にありがとうございます。その誠実さに寄り添った要約が、私にできていることを祈っています。この本を読んで、私が理解した事実関係は以下です。
- 萩尾先生と、同じく漫画家の竹宮恵子先生、当時のお二人の共通のお知り合いだった増山法恵さんは練馬区の大泉の2階家で共同生活をしていた。
- お三方を中心とした大勢の漫画家およびその卵の皆さんがそこに出入りしていて、お互いにクロッキーブックを見せあったり、一緒にヨーロッパ旅行に行ったりした。
- ヨーロッパ旅行から帰ってきてしばらく経つ頃、大泉での共同生活は終了した。また、竹宮先生から、萩尾先生の作品が竹宮先生の『風と木の歌』に似ているのではないかというクレーム(のようなもの)があった。その後、日を変えて竹宮先生から「もう近寄るな」というようなことを言われ、あまりのショックに心因性視覚障害を患った。
- これら一連の出来事の記憶は今も萩尾先生を苦しめている。萩尾先生は「この記憶を永久凍土に封じ込め」、その後、竹宮先生の漫画も著作も一切読んでいないし、お付き合いもしていない。
実際に起こったことは、この本を読むだけでももっとずっと複雑に入り組んでいましたし、おそらくこの本には書ききれなかった様々な思いもあったのではないかと思います。その意味で、このような要約は、先生の大切なものを土足で踏みにじるようなものかも知れません。もしそうであるならば、お詫び申し上げます。その上で、先生のお気持ちを今以上に傷つけることが私の意図ではないということを、申し添えます。
②私の解釈
この一連の出来事を読んで、私が思い出していた言葉は、マザーテレサの有名な、あの言葉でした。
『愛の反対は憎しみではない 無関心だ』
The opposite of love is not hate, it's indifference.
萩尾先生も、おそらくは竹宮先生も、お互いへの無関心とは程遠いところにいらっしゃいます。萩尾先生は、実際にこうして1冊の本を書くぐらい、どんなに強固に記憶を永久凍土に封じ込めようとしても封じ込めきれない思いを抱えていらっしゃいます。
その感情に名前をつけるならば、無関心よりもずっと、憎しみに近い言葉が当てはまりそうです。今も萩尾先生の心は血を流し続けていて、先生は決してご自分でその言葉をおっしゃることはないだろうけれど、でもつまりは竹宮先生のことを、「許せない」と思っていらっしゃるのではないでしょうか。そして、その言葉をご自分の意識に載せることすら、ご自身の節度と矜恃が許さないように、私には見えました。
マザーテレサの言うとおり、憎しみは実は愛にすごく近い感情です。
萩尾先生は、竹宮先生のことを、どこまでも憎みつつ、どこまでも愛しているんだと思います。お二人はきっと、死ぬ前に仲直りがしたいんです。この一見、対立のように見える関係性の奥底にある共通の願いは、きっと、それです。
③エリクソンの発達理論
萩尾先生は、心理学に造詣が深い方です。『メッシュ』や『半神』、『イグアナの娘』、『残酷な神が支配する』など、先生の作品には心理学をテーマにしたものが数多くあります。
そんな先生であれば、エリクソンの発達理論は、ご存知かも知れません。発達の概念を乳児期から成年後期までのライフサイクルに拡張し、社会的・対人関係の視点からまとめたものです。私は社会福祉士の資格試験を受ける際に、この理論について勉強しました。
エリクソンによるとライフサイクルの最後、年齢の目安として65歳以上の人々が直面する課題は、「自我統合」対「絶望」です。この時期の人々は、今までの人生への評価を受け入れ、ご自分にとっての人生の意味や価値を見出す段階にあると言われ、もしも「自我統合」によってその課題を達成することができれば、それは「英知」に繋がり、もし達成することができなければ「絶望」に至る、と彼は言います。
「絶望」。
とても強い言葉です。エリクソン自身は、この理論を提唱した時、何歳だったんでしょうか。もし彼が65歳以上の成年後期と言われる段階に達していたとしても、この言葉を選んだのでしょうか。
萩尾先生も、竹宮先生も、私から見れば、母親の世代に属しています。したがって、私自身はまだ、成年後期と言われる段階に達していません。なので、若造のたわ言として、どうかこの先の私の暴言をお許しください。
萩尾先生が直面していらっしゃる状況は、エリクソンの提唱した成年後期の課題、そのものであるように私には見えます。萩尾先生は今、「自我統合」と「絶望」の、あわいの部分にいらっしゃるのではないでしょうか。もしここでもう一度、『一度きりの大泉の話』という本を書いた、その力を振り絞って、実際に竹宮先生とお話をすることができたら、萩尾先生は、もっと楽に生きることのできる、より良いご自分に出会うのではないでしょうか。
④インビテーションレターにかえて
20世紀初頭から物理学や哲学の領域でゆっくりと進められてきた思想改革が、21世紀を超えた近年では、心理学や組織開発の領域にまで押し進められ、この領域で従来の考え方とは異なる様々な手法が開発されました。私自身が実践しているシステムコーチング®も、その一つです。
もちろん、手法はただのツールです。役に立つ時もあれば、立たない時もあります。
その上で、萩尾先生と、竹宮先生が置かれている状況に関しては、システムコーチング®が役に立つと、断言させてください。システムコーチング®は、お二人のための手法だと言っても過言ではないかも知れません。
お二人の間に、かつて確かに存在し、半世紀を超えた今も否定しながら、むしろ否定するからこそ、そこに強く存在を感じさせる関係性を、この手法ならコーチングすることが可能です。
どうか良かったら、私にお二人のお手伝いをさせてください。私は、お二人の主要な作品は少女時代から何度も何度も読んでいます。私の人格の何パーセントかは、お二人の作品で作られています。お二人のためなら、私は、全身全霊をかたむけて仕事をすることをお約束します。
萩尾先生。
その苦しみには意味がありますよ。
萩尾先生が今、直面している苦しみに、先生が数々の作品で私たちに見せ続けてくださったその誠実さで向き合うこと。どんなに辛くても、それこそがこの苦しみを抜け出す唯一の方法ではないでしょうか。
あなたの大ファン、
坂本那香子より
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ということで、皆さま、ここまでの長文をお読みいただき、ありがとうございました。ここまでがちょっと暑苦しかった分、最後のメッセージは出来るだけさらっといきます。
萩尾先生に限らず、職場やご家庭で人間関係に悩む人はきっと多いと思います。とても大切な関係性なのに、大切だからこそ、ざらっとしてしまう時が、誰しもありますよね。
私がシステムコーチング®を始めたそもそもの理由は、萩尾先生と竹宮先生のように、どちらも悪くないのに、どちらも苦しんでいる、そんな状況を改善するスキルを身につけたかったからでした。その願いは、会社員時代の、私自身の経験に根づいています。対立が激しくて自分でも我を失ってしまったあの時、システムコーチング®の手法を知っている人が介入してくれたら、どんなに助かっただろうと思います。過去の私を現在の私が助けてあげられることが、私は誇らしいです。
それでは、この文章が心に響いた方からのご連絡を、お待ちしております。
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